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Cornelius (コーネリアス, 小山田圭吾) 高画質ジャケ写 ジャケット画像 (iTunesのアルバムアートワーク設定にお使いください。) いじめについても雑談

Cornelius

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シングル

『THE SUN IS MY ENEMY 太陽は僕の敵 』(1993年9月1日発売)

Holidays in the sun e.p. (TRATTORIA MENU.22)』(ミニアルバム・1993年9月10日発売) ○

『Perfect Rainbow(Trattoria Menu.25)』(1993年11月10日発売) ○

『(YOU CAN’T ALWAYS GET) WHAT YOU WANT』(1994年1月26日発売)

『MOON LIGHT STORY』(1994年6月25日発売)

STAR FRUITS SURF RIDER (Trattoria Menu.134)』(1997年7月2日発売) ○

Chapter 8 ~Seashore And Horizon~』(海外盤 1998年5月25日発売) ○

Point Of View Point (Trattoria Menu.237)』(2001年9月5日発売) ○

Drop (Trattoria Menu.240)』(2001年10月3日発売) ○

nova musicha n.2 CORN ELIUS (非売品CD)』 (2001年) ○

nova musicha n.3 CORN ELIUS (非売品CD)』 (2001年) ○

Drop [UK]』(海外盤 2002年4月23日発売) ○

Point Of View Point [UK]』(海外盤 2003年12月30日発売) ○

nova musicha n.5 (非売品CD)』(2003年) ○

『nova musicha n.7 (非売品CD)』(2003年) ○

nova musicha n.8 (非売品CD)』(2003年) ○

『MUSIC』(2006年8月23日発売)

『BREEZIN’』(2006年9月27日発売)

アルバム

1stアルバム『THE FIRST QUESTION AWARD (Trattoria Menu.29 Menu.46)』(1994年2月25日発売) ○

2ndアルバム『69/96 (Trattoria Menu.69 Menu.80)』(1995年11月1日発売) ○

リミックスアルバム『96/69 <地球あやうし!!> (Trattoria Menu.96)』(1996年6月9日発売) ○

FANTASMA (ファンタズマ) (Trattoria Menu.133)』(1997年9月10日発売) ○

『FM-Fantasma reMixes (Trattoria Menu.167)』(1998年11月26日発売) ○

『CM – Cornelius reMixes (Trattoria Menu.168)』(1998年11月26日発売) ○

POINT (ポイント) (Trattoria Menu.241)』(2002年1月22日発売) ○

CM2: Interpretation By Cornelius』(2003年6月25日発売) ○

『PM』(2003年7月23日発売)

SENSUOUS (センシュアス)』(2006年10月25日発売) ○

『CM3』(2009年5月13日発売)

『CM4』(2012年9月5日発売)

Constellations Of Music』(2015年8月19日発売)

Mellow Waves』(2017年6月28日発売) ◯

Ripple Waves』(2018年9月19日発売)

映像作品

DVD

FIVE POINT ONE』(2003年7月23日発売) ○

雑談。

なんで今回コーネリアスの事を書こうと思ったかと言うと、やっぱ、コーネリアスがカッコいいから。

さっきネットのカジヒデキの記事読んでて、

「やっぱ、あの頃の渋谷系よかったなぁ。」とか思って、次、コーネリアスの記事に飛んで、FANTASMAをまたアメリカでツアーするだとかしただとかのコーネリアスの記事読んで、

「あー。コーネリアスのライブ行きてぇ。」

とか思って、【コーネリアス】で検索したら、上位に、

【コーネリアス】小山田圭吾の最低な 障害者イジメ

みたいな、しょうもない記事が出て来て、俺的には当時のメディアをいい意味で面白かったと思ってて、こういう昔の記事引っ張りだして、しょうもない文句を言い出すのは

「やっぱ日本人だなぁ。」

とか思って。とか思ってたらまぁ、コーネリアスについて書く事もできそうだなと。

僕は一回だけしかコーネリアスのライブ行った事がないんだけどスゴかった。アルバムのPoint (ポイント)が出た時のツアーで。

僕は楽器も演奏できないし音楽の授業も全然だめだったし僕が音楽の事書こうと思ったら、

「スゲーかっこ良かった。」

だとか、大した評論できないんだけど、コーネリアスのライブは本当にスゴかった。

でもピカチューで話題になった、目がチカチカする様なライブだったからずっと目開けてらんなかったんだけど。

映像と音楽のシンクロがすげーかっこ良かった。

あ。DVD (FIVE POINT ONE)も買ったんだった。そういえば。

Corneliusのいじめについて

で、音楽的な評論が僕は得意じゃないので【コーネリアス】で検索すると、いじめが出てくるから、一応このことについて雑談書こうかと。

コーネリアスの擁護 (ようご)じゃないですけど。

当時の文化とか、当時の空気を分かってたら、ああいう記事がでて普通に面白く読めてた時代ってのは、当時の人なら分かるんじゃないかと。

今の、臭いものにふたをする的な文化っていうのか、言論統制みたいなものはつまらないな。と思って書いてみました。

いじめについて僕は賛成か反対かと言うと、賛成でも反対でもなくて、あって仕方がないものだと思う。

僕は、いじめをしたこともあるし、された事もある。

まぁいじめられる方は辛いけど、いじめるのは楽しいものだ。

それがいい悪いは抜きにして、真実だから仕方がないっす。

正義感ぶって、いじめをしてた事を楽しそうに言ってる昔の記事に文句をつけて批判するのは簡単です。

だけど、本来、人間ってそういうもんなんだから仕方ない。って思う。

(普通に小さい時、アリを見つけたらみんな殺したりしたでしょう?)

人の批判をするのは結構だけど、

「君にもそういう部分ってあるだろ?」

って思うんだよね。

そういうの「俺にはない」って言う奴、偽善者だし、そういう奴が一番残酷な奴だと思う。

まぁ、いじめの問題って書いてて気持ちのいいものでもないし、さらっと書こうと思うけど。

子供の無邪気な視点で見たら?って考えてみましょう。

子供って結構残酷なんですよ。

小山田圭吾が言ってた、

「ダウン症の子供がたくさんいて、みんな同じ顔www」

なんて、面白いの当たり前じゃない。

子供にとったら。

すげーおもしろネタになるよ。

大人になって、現代でそんな事言ってたら、つまはじきものにされるのは分かるけど、当時は当時で当然な表現だった訳。

(なぜ当然な表現かと言うと、当時のメディアは読者を選んで掲載していた。今みたいに、何が何でも、全ての情報がネットに晒される訳ではない。障害者や、いじめられてる人へ向けた発言ではない。本音と建前の、本音を語れる場所があったから当時のメディアは面白かった。障害者についての情報も現在程、普及していた訳ではない。雑誌を読んだ読者が感想を持つのは、各々の個人だった。いじめの記事を読んで、批判的な意見を持ったなら、「俺はいじめはしないぞ。」そう思うだけで良かった。今はわざわざネットに載せて、批判して。批判を広めて。それこそ、質の悪い陰湿ないじめだよ。個人を批判する連中を集めて、大勢の不特定多数の人間が一個人を批判するって、それこそいじめだって分かってないのかね。メディアのあり方も違っていました。現在みたいに誰でもメディアを作ってネットで発信できる訳じゃなかったし、メディアに対する批判があろうとも、その批判を簡単に発表する場がなかった。今、簡単にネットで批判を書いてる奴がいるのは、簡単に発信できる為。要するに、当時では、発言権すらなかった用な、発言する努力も出来なかった様な奴等が過去記事を引き出して偉そうに言ってるだけ。そういった奴はそんなネガティブな部分を記事にして、アフィリエイトで小銭を稼いでる。小山田圭吾のいじめの記事を、当時の感覚で読んで見てみた感想を言わせてもらうと、当時の感覚でいうと、絶妙に、当時の、犯罪とまでは言えないほどのいじめの範疇で止めている。ナイフで切りつけたり、そういうのは、さすがに犯罪。つばをのませたり、しっこ飲ませるのはいじめ。そういう感覚だったと思う。当時の読者が、これを読んで、ひでーなwと笑えるレベルなのだ。現在の頭の固いテンプレな読者であれば笑えない。犯罪だと言いだすかも知れないが。また、その当時の、その空気感をわかっていた小山田圭吾が、ある程度作り話で、大げさに言ったのではないかというほど、良くできている話だ。例えば、うんこを食わせたというのも、実際は、おしっこ程度かもしれないというように。また、記事を読めばわかると思うが、決して、小山田圭吾はそのいじめの首謀者ではない。他にいじめの首謀者がいて、そのいじめというのが存在するという、当たり前の空気には逆らえない、というような空気があったのであろう。その中で、いじめに参加するやつの方が面白いやつ。そして、見て見ぬ振りをするつまらないやつ。そして、たまたま、そこには、いじめはやめなさい!!という勇敢なマジメ君の勇者がいなかったというだけの、当時の、もしかしたら今でもありそうな、当たり前の空気感の話なのだ。そして、俺はどっちかというと、面白い側にいたという、小山田圭吾の現代人から見たら下らない自慢話なのだ。貴重な資料にはなるかもしれないが、過去何十年前の本当かネタかも分からない様な話を今更、ほじくり出して、叩いてるやつはただのバカである。障害者いじめだから、最低だとか言ってる奴は、ずれてる。文章読んだら分かるが、小山田圭吾は、障害者だから、そいつらをいじめたんじゃなくて、単に、変わってる奴を、いじめるのが楽しいからいじめただけである。また、障害者にも壁を作らずに向き合っている事が伺える。言葉で、『いじめ』と書いてはいるが、現在で言う、『いじり』に近い感覚であって、現在で言う、『陰湿ないじめ』ではない。現在の人の方が、もっと陰湿ないじめを平気でしているものだ。障害は個性だと思う。個性が強い奴がいじめられるのは、よくあること。逆に障害者だからと言う理由だけで、壁を作って、いじめないという考えを持ってる奴は、実際には差別主義者っぽく感じる。んじゃ、健常者をいじめるのはありなのかよって。障害者どうとかじゃなく、そこは、単に『いじめは駄目』でいいじゃないか。)

いじめが悪い事か。良い事かについて、

いじめられた事もある俺だけど、今になって、思うと、俺はいじめられて良かったと思う。

いじめられたくないが為に、周りの空気にあわせて、平凡を装うなんて事をするのが嫌だったんだと思う。

かと言って、そういう俺をいじめる連中ってのも、居なかったら居なかったで、俺は調子に乗って、すげー嫌な奴になってたかも知れないし。

まぁ俺は、いじめはありだと思う。

いじめられて、死ぬ奴は、駄目だと思う。

人間も動物なんだから、生存競争って言うのがあって、当然。

だが、いじめがやり過ぎで、殺しちゃうってのも駄目。

そこは人間なんだから、法律さんがきちんとあるから。

生死に関わらない程度であれば、いじめはあっていい。

いいというか仕方がない。

特に日本だし。

日本ってのは、周りの空気とかを気にする人間ってのが多い。てか全員が周りの空気を気にして生きている。

例えば、ネット見てたら、「いじめについて記事を昔書いてたようなコーネリアスの事」は叩くけど、

韓国人きもいとかは平気で言ってるような奴等。

ネットに、Corneliusが書いた昔のいじめ記事を転載してる奴自身も、本質的には、いじめをしてる奴と何も変わらない。

しかも匿名で。そいつらの方がよっぽどたちが悪いと思う。

まぁ逆に韓流かっこいいとか言ってるのも、きもいと思うけど、それは個人的な意見。

全然僕はBIG BANGとかかっこいいと思わないし。

まぁ全く個人的な意見で、時代にのれてないだけかも知れないが好きでないものは仕方がない。

みんながいじめが駄目って言ってたら、其れにあわせて、みんなが韓国人きもいと言えば、それにあわせる。

そういう空気感があれば、それはそれで平気な奴ら。

韓国人いじめはありだったりする。

ほんと空気みたいな奴がそういうどうでもいい批判をしている。

スティーブ・ジョブズが、ツイッターか何かで、批判して来た奴に対して言った言葉があった。

「お前、人の批判するのは良いけど、お前は何か世の中に素晴らしいサービスを提供したりとか、世の中を良くする為に、何かやってんの?何もしてねえ奴に言われる筋合いがねえ。」

みたいな話。

コーネリアスは、すげーカッコいい音楽作ってるし。

あー。僕もこんなどうでも良い事言ってないでやること頑張らなきゃなって思う。

他人の過去に文句言ってる暇があったら、現在の自分頑張れよって思うだけの話です。

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4 件のコメント

    • 結局、ネットでいじめを非難する奴って、こういう、安易に人のことを精神異常者とかいう言葉を平気で人に投げかけられることができる、頭の悪く平易な作りの脳みその弱い人が多いんだよね。

      君みたいな人が一番本気のいじめに加担できるタイプなんだよ。
      自分の意見ではなく、大多数の意見に飲み込まれて、自分の意見のない本当のバカな人なんだろうね。

      自分と違う意見の人のことを、精神異常者だとか、差別的な言葉を平気で言える君のような人っていうのは、結局、大多数の意見と同調できたら、平気で、マイノリティの人間に対して、いじめをしてしまえるような人なんだよ。君は。
      普段は、いじめを否定するくせに、いざそのいじめの場があったら加担してるタイプだよ。君は。
      世間的な正義ってものを盾にできたら、マイノリティの人に対しては、何をしても、何を言ってもいいって言うタイプだと思うよ。

      多分

      【1990年代当時、君がもしその場にいて、精神障害者の人やダウン症の人が学校にいて、周りの人間がその子をいじめていたら、一緒になってその子をいじめてたようなタイプが君】

      です。

      「バカはあんただよ。

      いじめを容認するあんたが恐ろしいよ。

      精神異常者だね、あんた。」

      本当にこわいね。無自覚に、一番平気でいじめができそうな人のセリフだね。

      でも、頭が悪そうなコメントされる人だから、僕が言ってることが理解できてないかも。

      自分と違う意見の人のことを、精神異常者だとか、差別的な言葉を使って罵ることができる君は、本質的には、
      自分と違う障害者の方とかに対して、平気で差別的で傷つくことを言えたり、平気でいじめることができる人と全く一緒のタイプな人なわけですよ。

      僕はあなたのような、頭の悪い、無自覚にいじめをできる人がいるのを分かってるから、いじめっていうのはなくならないし、仕方ないなって言ってるわけです。

  • イジメに陰湿も何もあるのか?イジメそのものがだめっていうか、人の嫌がることをやっていたことにはかわりはない。
    イジメはなくなることは難しいかもしれないが、いじめ自体を正当化するような表現に個人的には嫌悪感を抱く。
    いじめられたこともあるから俺その気持ちわかるし、だから、ドローだよね?っていうのもどうかなと。
    人の痛みを経験で分かっているのなら、いじめ自体を肯定するのではなく、どうしたら無くそうか、いじめた側の意見はこういう気持ちだった、でも今はそれについてはどうなのかと一歩進んだ意見が欲しかった。
    音楽の才能があるからOKだよねと言っているように捉えてしまった。

    • 嫌悪感を感じていただけたというのは、何も感じないような当たり障りのない事を書いたつもりもないので、そう感じていただけてよかったんじゃないかとは思います。
      本当に個人的な意見で、本当に思ってることを書いたらこうなりました。

      イジメそのものがだめとは個人的には思えないというか、イジメはだめって簡単に言うやつが一番イジメを平気でできる人間だと個人的には思っているので。

      一対一なら喧嘩だし、多数が一人に対して、攻撃してるのがイジメの図式のわけで、
      でもイジメがだめって言ってCornelius叩いてる奴の意見って、多数派の意見に乗っかって、一人を叩いてるイジメの図式そのものだと思うし、
      イジメがだめって言ってるやつ自体がイジメをしている訳で。
      しかもCorneliusが大昔にしたことを今更持ち出してわざわざっすよ。
      馬鹿らしいと思うわけ。

      で、どうしたらイジメがなくなるか?
      的な意見を、僕が個人的に出すとしたら、

      『自分と直接関係のないやつを、人を巻き込んでまで叩いたり、叩いてるやつに同調するな』
      そういうことは、かっこ悪いことだ。
      ってみんなが個々人が自覚すること。

      とか、変な顔の人を見つけても、情報共有するな。
      だとか、言論統制っぽくなったら、イジメはなくなるかもしれないけど。

      個人的にイジメはまぁありかなって思う理由の一つに、ある意味、イジメっていうのは、多数派の意見ってものがあるから、イジメがある訳で。
      その多数派の許容範囲内のものがイジメと呼ばれると仮定すると、それを超えちゃうようなイジメは、多数派の許容範囲の枠を超えて、嫌悪感が発生して、犯罪の抑止力になるんじゃないかと。
      ある意味、多数で一者をいじめてる図式って、そのいじめている奴の中にまともなやつがいたら、許容範囲を超えたら、もうやめとこうぜってなると思うの。

      また、世の中の秩序が守られるのも、正しいと思う大多数の意見が、世の中を支配しているから成り立ってる訳で、多数の意見が支配的に、マイノリティを抑え込んでるから成立している訳で。

      そういう正義ってのは、時代・社会が成熟していくにつれて、定義が変わっていって、今の時代では、それはパワハラ・セクハラと呼ばれたり、イジメは絶対だめみたいになってるけど、過去の時代では、大多数の意見が、問題ないただの笑い話で済ませていた時代もある訳で、
      現在の定義に合わせて、わざわざ過去の出来事をほじくり出して、過去の出来事を否定している奴の頭の構造そのものが、イジメを肯定している頭の構造そのものだと俺は思うの。

      何か(いじめをしていた奴)を強く否定できる頭の構造をしてるって事は、他者を強く否定できる(いじめができる)構造をしてるってことじゃないですか?

      『音楽の才能があるからOKだよねって言ってるように捉えてしまった』

      については、Corneliusは、元々の才能もあったかもしれないけど、努力をしたからこそ、才能を発揮させて、素晴らしい音楽を作って、たくさんの人にいい音楽を届けれるようになったわけで、
      何も努力せずに、他人の過去のイジメ記事に文句言ってるだけのやつとCornelius、
      どっちが世の中を良くする事に役に立ってるかといえば、単純にCorneliusのほうだと思うわけです。

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